岡山の歴史

オランダ通りの名前の由来と歴史

(写真:オランダ通り)

岡山市には、桃太郎大通り、県庁通り、あくら通り、後楽園通り、柳川筋と道路に愛称がついています。

その愛称で呼ばれる道路のなかにオランダ通りという名前のついた通りがあります。

オランダ通りは、ほかの道路と違い、アスファルトでなくレンガが敷かれてあり、ヨーロッパのような異国を感じる落ち着いた場所です。

また、オランダ通りのイメージと言えば、一定の年齢以上になると、お洒落な服屋や飲食店がある通りを連想することと思います。

現在でも、オランダ通りにはパンやパスタ、カレー、ラーメン、デミカツ丼など美味しいご飯が食べれるお店が多く、ランチやディナーの時間帯に行列のできるお店もあります。

この記事では、岡山市北区表町にあるオランダ通りの名前の由来とその歴史をお知らせします。

オランダ通りってどこ?

岡山市街地の中心的な繁華街と表町商店街。その表町商店街に並行した、1本東の通りをオランダ通りといいます。

岡山市のランドマークのひとつ、シンフォニーの南側にある通りです。

桃田
ところで、オランダ通りはどこからどこまでのことを言うか、わかるかい?
猿渡
シンフォニーからファミリーマートまでかな?

オランダ通りは、表町商店街の東に並行した南北1キロの長さのある市道で、岡山シンフォニービルから国道2号線までです。

オランダ通りの特徴

オランダ通りの特徴ですが、車道の路面は茶色系のカラータイルで統一され、車がスピードを出せないように道路がジグザグになっていて、歩行者優先道路となっています。また電線類を地中に埋めているため、電信柱がなく、洋風の街路灯が設置されています。

雉間
オランダ通りで車のスピードが出しにくいのは、数十メートルごとに道路を屈曲させる「クランク方式」と採用しているから
犬養
電線が埋められてる?だから、だてそばからでもシンフォニーホールまで見晴らしがいいんだ!

オランダ通りの由来

オランダ通りの由来には「オランダおいね」の存在が欠かせません。
江戸時代後期に、長崎出島のオランダ商館医だったシーボルトと日本人女性との間に生まれた娘が、日本初の女性産科医(西洋医学)として知られる「オランダおいね」こと楠本イネさん。

その楠本イネさんが、岡山の下之町(現在の表町2丁目)で産科医として開業していた石井宗謙のところで修行していて、その場所が当時表町のメイン通りの裏の通りに面したところにあったからです。

オランダおいね修行の地

犬養
岡山なのに、なんでオランダ?って思っていたけど、それで、オランダつながりなんだね
雉間
……シーボルトはオランダ人のふりをしていたけど本当はドイツ人
猿渡
えっ……
犬養
えっ……

オランダ通りの歴史

オランダ通りの歴史は、表町商店街の再開発の歴史でもあります。

江戸時代から明治、大正、昭和にかけて、長い間、岡山の商業の絶対的王者として君臨していた表町。

岡山大空襲で焼失しながらも、いち早く復興しました。

ところが、その表町商店街の繁栄に影を差すできごとが起こりました。

桃田
なんだと思う?今も同じような状況がおこってるよ
猿渡
わかった!イオンモール岡山ができたように、岡山のどこかへ大型店が出店したんだ!

そのきっかけは1972年(昭和47年)3月15日に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通したことです。

新幹線が開通した後、岡山駅前には高島屋岡山店、岡山一番街、そごう神戸店岡山分店、ダイエー・ドレミの街、ニチイ岡山店、ビブレ岡山と続々と出店しました。

また、郊外にも次々とスーパーや専門店が出店したため、買い物客の流れが今までと変わり、危機感を感じ取った表町商店街は再開発の必要に迫られました。

猿渡
えっ、今じゃ存在しない店ばっかり

1987年(昭和62年)中小企業庁の指導で、表町はコミュニティーマート構想モデル事業を作成し、表町の北端、上之町入口を文化ゾーン、反対側の南部千日前をアミューズメントゾーンとし、天満屋岡山店のある中心部をターミナルゾーンというようにゾーン分けをし、それらを結ぶ導線として、表町の裏通りを、オランダ通りとする計画が策定されました。

桃田
まずは上之町一帯の文化ゾーンの再開発から始まったんだ

平成の始まる直前の1988年(昭和63年)には、上之町の文化ゾーンの核を担う「芸術音楽ホール」の工事着工が始まりました。


そして、商店街活性化モデル事業を進めている表町商店街の栄町には、オランダ風のレンガの外壁をもち、屋上にはオランダ風のカリヨン(鍵盤で演奏する鐘)が取り付けられた4階建てのビル「エターフェビル」が完成。

1990年(平成2年)8月25日にはオランダのヘルマン大使を招き、オープニングセレモニーを行い、テープカットと、カリヨンを打ち鳴らして表町の「オランダ通り」の整備のスタートを祝いました。

1991年(平成3年)上之町アーケード・カラー舗装をリニューアル

同年9月20日岡山シンフォニーホール完成

犬養
やっぱり、さっきの「芸術音楽ホール」ってシンフォニーのことなんだ~

1995年(平成7年)おかやま魚島横丁誕生

1997年(平成9年)オランダ通りの整備計画が具体化して、工事が進行。

桃田
オランダ通り整備の基本方針は4点だったんだ。
  • 「オランダおいね」が生きた時代や文化の流れを感じさせる独自性の高い「通り空間」をつくる
  • オランダをテーマとした整備を行う
  • 商店街とのつながりや回遊性のある「遊びの空間」の形成を図る
  • 幅の広い歩道の整備など歩車道共存の原理により安全性を確保する
桃田
この頃にはオランダ通りも地区ごとに目指すそれぞれのテーマがあったみたい
  • 北部ゾーン(シンフォニーホール~県庁通り)は芸術性
  • 中央部ゾーン(県庁通り~あくら通り)はファッションゾーン
  • 魚島ゾーン(あくら通り~西大寺町商店街))は大衆性
  • 南部ゾーン(西大寺町商店街~国道2号線)は庶民性

1999年(平成11年)4月4日にオランダ東通り(通称オランダ通り)のオープニングセレモニーが開催

桃田
オープニングセレモニーの日は完成したオランダ通りを、大勢の人が見に来たらしいよ

現在のオランダ通り

当初、アミューズメントゾーンとして計画されていた南部ゾーンは、衰退し、通りはマンションや駐車場になってしまいました。

近い将来、南部地区の千日前地区には市民会館が移転する計画となっています。

参考資料

桃田

今回の参考資料はこちらです。岡山百店会というのは、表町の買い物ガイドや読み物を載せたタウン情報誌を発行するために、表町の有名専門店が百十数店が集まって設立した会です。

・岡山百店会「おかやま百てん創刊百号記念号岡山表町繁盛記」昭和60年6月25日初版発行
・岡山百店会「おかやま百てん二百号終刊記念号岡山表町飛翔記」 平成15年11月発行

編集M

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Webを利用した岡山市のローカル情報発信メディアを作りたいと岡山じゃーなる!を立ち上げた人。会社に普通に勤務しているので取材に出る頻度は少ない。「枚方つーしん(ひらつー)」様から始まる「つーしん」系メディアの存在を知った後、ふくやまつーしん」様「井笠つーしん」様の存在に刺激を受ける。岡山市だけでなく倉敷市もカバーしたい。

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